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剣道部の歴史


川越高校剣道部の歴史(川越中学校時代より)

「川中」の時代


 剣道部は明治34年に「撃剣部」、明治40年に「 川越中学剣道部」として活動が始まった。


 『教育剣道を培った人々』(いなほ書房、全国茗友会編) によると、 大正8年10月19日に始まった東京高等師範学校主催の全国中学校剣道大会に、川越中学剣道部の記録を見ることができる。


 第1回大会(大正8年、参加校24校) では1回戦で横浜二中に勝ち、2回戦で横浜一中に敗退している。


 第4回大会(大正11年10月8日、参加校36校) においては2位に入賞している。 2回戦より出場した本校は熊谷中、浦和中(3回戦)、 早稲田実業(4回戦)、東京高師付属中(準決勝)を連破し、 決勝戦で秋田師範と対戦した。以下決勝戦の記録である。( このときの試合は4人戦の対勝負であった)。

 

 


 秋田師範7  3川越中
 常喜○○     大川原
 田代○○     浅野
 根本○○    ○北村
 志賀○    ○○平川

 

 


 第5回大会(大正13年9月28日、参加校60校)では、 川越中は4回戦で茨城師範を7対5で下し準決勝に進出したが、 北海中に2対6で敗れ、3位となった。以下その記録である。

 

 


 北海中6    2川越中
 木村○○     田口
 伊藤○○     山崎
 傳法     ○○北村
 松田○○     大塚

 

 


 第9回大会では、個人表彰として、川越中、高橋の名が出ている。


 なおこの大会は21回(昭和15年8月5日)まで続いた。「少年剣士にとって、この大会が権威ある憧れの大会」(前出書) であり、 当時の剣道の社会的位置付けに影響を与えた大会で上位入賞を果た したこの時期は、第1期黄金時代といえるであろう。

 

 


 撓競技


 戦後、剣道はGHQのもと禁止されていた。剣道にかわる「 撓競技」としての記録が本校「生徒会報」(第5号、昭和28年) にある。


 昭和28年3月28日に第1回県下高等学校の撓競技が行われた。 本校より長谷川、発智、水野(共に高6)の3名が出場し、 第3位となっている。5月の国民体育大会では、 前OB会長の水野が18人抜きの快挙をなしとげ、 個人優勝に輝いている。

 

 


 「川高」の時代


 昭和37年度から昭和45年5月まで、 顧問の豊島正夫のもとで活動した。


川越高校が県内初制覇を成し遂げたのは、 昭和39年第10回の関東大会予選のときである。 この年全国大会予選(個人)で松本(高17)が優勝し、 本戦に進んでいる。 翌昭和40年第11回の予選も連続優勝を果たし、 関東大会でも3位に入賞している。


 昭和43年には、関東大会予選、 全国大会予選連覇を達成しており、 この年初の全国大会出場となった。


 昭和45年第17回大会において2回目の全国大会予選の優勝を成 し遂げている。この後、 県内制覇は昭和56年の新人戦まで待つことになるが、 関東大会で見てみると、昭和47年の本大会2位、昭和49年~ 53年までの5年連続出場(特に昭和50年は本大会3位) がある。

 

 


昭和45年5月から昭和58年度まで、 剣道部の活動は柴生田建司(高18)のもとに行われていた。


 全国大会予選の団体では昭和58年の県内制覇(3回目) まで待つものの、個人では昭和48年~50年までの小高( 高26)、羽田(高27)、指田(高28) の3年連続本大会出場、昭和53年の新(高31)、 56年の土屋(高34)( 松本幹司以来の県内全国大会予選個人優勝) の本大会出場の記録がある。


○昭和55年度 


 新人戦=団体2位


○昭和56年度


 新人戦=団体優勝


     個人2位 森田、3位 下澤(共に高34)


 関東大会出場(埼玉・熊谷)=ベスト16


 全国大会予選=団体2位


        個人優勝= 土屋(高34)


 全国大会出場(山梨)

○昭和57年度

    全国大会予選=個人3位= 今井(高36)


○昭和58年度


 新人戦=団体2位

     個人2位= 今井(高36)


 関東大会予選=団体5位


 関東大会出場(千葉)


 全国大会予選=団体優勝


 全国大会出場(愛知)


川越高校にとって、 昭和58年度の団体優勝は現在に至るまでの最後の県大会優勝である。この優勝を最後に、 現在まで全国大会出場は達成されていない。

 

 


昭和59年度より平成4年度まで、今栄亮一(高27) のもとに活動した。今栄は柴生田の教え子であり、 昭和40年代の黄金期を支えた一人である。また、 平成元年度からは朝霞高校より赴任した仲山嘉史が加わった( 平成10年度まで)。


○昭和59年度


 関東大会予選=5位


 関東大会出場(神奈川)


○平成元年度


 新人戦=個人3位 森(高43)

 

 


平成5年度から平成13年度まで、森田智裕(高34) が今栄の後を受け継ぎ、平成11年度からは近藤伸一(高20) と共に指導にあたった。森田も今栄同様、柴生田の教え子であり、 昭和50年代の黄金期を支えた一人である。


○平成5年度


 新人戦=個人3位 古澤(高46)


 また、この年度にはOB会が発足し、水野仁(県剣道連盟副会長(当時)で範士8段・高6)が会長となった。


○平成7年度


 新人戦=個人3位 栗原(高48)


 関東大会予選=5位


 関東大会出場(東京)


 栗原(高48)、福島国体に先鋒として出場 5位


 この年度には保護者を中心とした後援会も発足し、 剣道部の活動に対してご支援をいただくこととなった。


○平成8年度


 新人戦=団体3位


    =個人3位 長谷川(高49)


    =星野(高49)、国体関東ブロック中堅として出場


 魁星旗争奪全国高校剣道大会(秋田)=ベスト16


○平成9年度


 全国大会予選=団体3位


○平成13年度


 新人戦=個人3位 小池(高55)


 関東大会予選=団体8位


 全国大会予選=団体3位

 

 


平成14年度より、 大井高校から赴任した五十嵐政則が森田の跡を継いで、 近藤と共に指導に当たっている。


○平成14年度


 全国大会予選=個人3位 小池(高55)
 全国大会予選=団体ベスト8


○平成17年度


 全国大会予選=団体3位


この年度より水野仁が埼玉県剣道連盟会長に就任した。 OB会会長には、水野の跡を継ぎ伊田登喜三郎(高22) が就任した。また、 前年の平成16年8月には剣道部創立50周年記念祝賀会を催し、 記念誌も発行した。


○平成18年度


 関東大会予選=団体5位


 関東大会出場(埼玉・越谷)


この年度より五十嵐、近藤に加え、昨年度着任した新井敏彦( 高44)が顧問に加わり3人体制で指導に当たっている。 新井は今栄の教え子である。


○平成19年度


年度当初人事により近藤が日高高校に転勤し、顧問が五十嵐、 新井の2人となる。


○平成21年度


年度当初人事により、五十嵐が越生高校に転勤し、 その後任に剣道専門の保健体育科教員が赴任せず、 副顧問の新井が正顧問となった。
8月のOB会総会にて伊田登喜三郎の跡を継ぎ、柴生田建司( 高18回)がOB会長に就任した。


新井の転勤後は権田、水村が指導を行っていた。


○平成27年度


年度当初の人事により、山本(高55)が正顧問となる。 五十嵐以来の剣道専門の保健体育科教員である。なお、 山本は五十嵐、森田の教え子である。
これにより顧問が正顧問・山本、副顧問・権田となる。


○平成28年度


年度当初の人事により、権田が転勤し、大門が赴任する。 大門は剣道経験者であり、これにより、顧問は正顧問・山本、 副顧問・大門となる。

 新人戦=個人3位 髙橋(高70)国体候補選手に選出

○平成29年度


 関東大会予選=個人優勝 髙橋(高70)国体候補選手に選出

            *(県大会個人優勝は高34土屋以来35年ぶり)

       =個人5位 川村(高70)国体候補選手に選出


 関東大会出場(茨城)

 この年に川越高校は玉竜旗に初出場

 玉竜旗初出場(福岡)


 玉竜旗=敢闘賞(5人抜き) 堀内(高71)

  


<剣道八段>


卒業生(OB)には、水野 仁 範士八段、森田智裕 教士八段の二名の八段がいる。


また、水野(元埼玉県剣道連盟会長)、豊嶋(元顧問・ 元埼玉県剣道連盟会長)などをはじめ、 多くのOB、歴代顧問、川越高校剣道部関係者が剣道発展のため尽力している。

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